「すべては公のために」 大分トリニータ神村昌志(下)
経営改革室長
大阪大学文学部英文科からリクルート(現リクルートホールディングス)に進み、1年間、就職情報誌の広告営業をした。営業成績は全くふるわなかったという。
1986年、新設されたロサンゼルス事務所の駐在員の社内公募に応じ、全米の大学を回って日本人留学生を探し、求人情報を届ける仕事に就いた。その頃から企業がグローバルな人材を求めるようになっていた。
92年に帰国し、1年を経ず退社。「長く米国にいたので日本のリクルートを窮屈に感じた」と神村昌志は振り返る。国際見本市の主催会社、学術系の出版社で働いたが、長続きしなかった。
■人材紹介業からの転身
「オレは何をしているんだ」と苦しんだ末、人材紹介業界への復帰を選び、96年にJACジャパン(現JACリクルートメント)に転じた。2003年に社長に就任。オーナーに「社長の仕事は株価を上げること」と言われながら利益を追求し、求職者、求人企業の声をきめ細かく聞くことで業績を伸ばした。08年には同じく人材紹介のアイ・アム(現インターワークス)に社長として迎えられた。
しかし、06年ころから大きな疑問が生じていたという。「人材紹介業が栄えているのに、日本の労働力の質が落ちたと言われるのはなぜなのだろうと悩み、自己矛盾に陥った」。それとともに関心が公益性、公共性に移っていった。「会社は社会の公器」というが、公って何なのだろう。公のためになるとはどういうことなのだろう。
そのタイミングでJリーグがスポーツビジネス講座を設けるというニュースを目にし、受講を決めた。初代Jリーグチェアマンの川淵三郎や、元日本代表監督でFC今治代表取締役の岡田武史らの言葉が胸に響いた。豊かなスポーツ文化の醸成を理念に掲げるJリーグはまさしく公益性のある存在だ。
想像もしなかった世界に飛び込んで、いわば地方創生を担うJクラブで働くいま、「自分たちが生み出す金は公のためにある」と自覚する。
だからこそ、クラブの収益を伸ばす手立てを考える。改革が手つかずになっているスポンサー営業の強化にこれから取り組む。「営業リスト、営業経過が残っていないし、顧客のターゲティング、看板掲示以外の価値の創出もされていない」
大分県外に本気で営業に出る必要性を感じ、たとえば東京に力のある営業マンを常駐させるプランを温める。「地域密着という理念と県外にスポンサーを求める活動の整合性は取れるはず。すべての社員が大分にいる必要はない。むしろ県外でできることがたくさんある」。試合と観光をセットにした大分プロモーションがその一つ。アウェーの東京V戦では観光案内を配り、「温泉だけでもいいから来てください」と訴えた。
行きつくべき所に行きついたのかもしれない。「公共性とはこういうことなんだ」と毎日、感じている。(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊4月12日掲載〕