理想求め 跳び続けた 銀盤のフェアリー 真央(上)
得点よりも3回転半
まるでうつしみの人でないような。浅田真央というスケーターを、バンクーバー五輪銅メダルの高橋大輔は「妖精のよう」と語り、10年以上振り付けを担当したローリー・ニコルも言い添える。「真央は羽のように軽く氷上を跳ねる。こんな選手は見たことがない」
2005年秋、ニコルが浅田のために初めて振り付けたのがチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。バレエに出てくる「金平糖の精」そのままの愛らしさで、15歳の浅田が国際大会を制した姿は衝撃的だった。翌年2月のトリノ五輪で金銀銅メダリストとなる選手たちを押しのけて。
何が良かった? どんな演技をしたい? 何を聞かれても浅田は「トリプルアクセル(3回転半ジャンプ、3A)」。無邪気に跳ねまわる妖精に世界は魅了され、年齢制限で五輪に出られないことを嘆いた。この「3Aこそ自分」という姿勢はついに変わらなかった。
浅田が世界ジュニアを制した04-05年シーズンに採用された新採点方式では、一つ一つの技に加点・減点が明示されている。多くの選手がルールを研究し、得点を稼げるプログラムを作った。
筆頭格がバンクーバー五輪金の金妍児(キム・ヨナ、韓国)だ。3Aの練習を断念し、連続ジャンプの美しさ、スケーティングのスピードを追求。見栄えのする、賢いプログラムを滑った。
浅田はルールに寄り添うより理想を求めた。年を重ねると体形が変わり、3Aのリスクが高くなる。表現力があるのだから3回転+3回転の連続ジャンプを確実にするべきだと誰もが思った。しかし、どのコーチも浅田を説得できない。「一番アピールできるものを跳ばないと何も始まらない」。3Aの精度が落ちたバンクーバー五輪シーズン序盤に浅田は言った。
ノーミスの演技を続けた金妍児に対し、浅田は波が激しかった。しかし、すべてがそろったときの演技は人々の脳裏と心にいつまでも残った。
「ルールを攻略し、勝つために自分のスタイルを変える人は多い。浅田選手は信念があり、スタイルを確立したからこそ、世界にインパクトを与えた」とトリノ五輪金メダリストの荒川静香。
浅田デビューから10余年、3Aを試合で跳んだ女子は2人いるが、毎試合挑む選手はいない。女子のジャンプ技術は頭打ちで、細かい得点を稼ぐ勝負になり、一般に分かりにくくなっている。
その状況が「来年の平昌五輪後に変わるかもしれない」と小林芳子・日本スケート連盟フィギュア強化部長。既に中学3年の紀平梨花は3Aを跳び、エフゲニア・メドベージェワ(ロシア)は4回転を視野に入れる。
理想を求めた浅田は、そのいちずさゆえに愛された。銀盤を去るときを悟ったのもまたいちずさゆえ。26歳になった妖精は跳べなくなり、理想を追えなくなっていた。五輪の金メダルは手にできなかったけれど、浅田が追い求めた3Aが標準となる時代はそこまで迫っている。=敬称略
(原真子)