勝利への執着心とリアリズム 鹿島貫く強さの源
サッカージャーナリスト 大住良之
国際サッカー連盟(FIFA)クラブワールドカップで、鹿島が日本だけでなくアジアのクラブとして初めて決勝進出を果たした。
1回戦でニュージーランドのオークランドに2-1で逆転勝ち、準々決勝では南アフリカのマメロディ・サンダウンズに2-0、準決勝ではコロンビアのナシオナル・メデジンを3-0で破った。1回戦以外は圧倒的な劣勢にさらされながらGK曽ケ端準の奇跡的なセーブとDF陣の粘りで失点をゼロに抑え、相手の攻撃のテンポが落ちたところに一気にたたみかけて先制し、差を広げるという勝利だった。
■ブラジルサッカーのメンタリティー
今月上旬、鹿島がJリーグチャンピオンシップを勝ち抜いたことは驚きではなかった。鹿島には「勝利への執着」という、1991年にジーコが来て以来の明確なスタイルがあり、哲学があるからだ。
「ブラジルのサッカー」というと、華麗な個人技を思い浮かべる人が多いかもしれない。もちろん、いまでも世界一のテクニックはブラジルにある。しかしブラジルの国内サッカーを見れば、そこにあるのは「勝つためにはどんなこともする」という「勝利至上主義」であるのは疑いない。反則をして勝つということではない。ルールで許されるぎりぎりのプレー、ルールが想定していない予想外の手段、そして試合を勝利で終わらせるための駆け引き……。「勝った者だけが生き残る」というブラジルのサッカーの厳しさの中ではぐくまれたメンタリティーと言ってよい。
鹿島には、そうしたブラジルサッカーのメンタリティーが貫かれている。日本では育成年代ではそうしたチームも存在するが、不思議にプロになると「よいサッカー」を目指すチームが圧倒的に多い。
私自身は、スタイルや哲学はさまざまでも「よいサッカー」が結局は勝利の確率が高くなると考えている。そして、多少の不安定さを甘受しながらも攻撃的な「よいサッカー」で観客を喜ばせようという姿勢を貫くチームや監督をこよなく愛しているし、その努力は尊いものと思っている。だからこそ、試合前には、気まぐれなサッカーの神様に対し「よいサッカーをしたチームに勝利がもたらされるように」と祈らずにいられない。
もちろん、現在の鹿島を率いる石井正忠監督も、できるだけよいサッカーをすることによって勝利に、そしてタイトルに近づこうとしている。だが相手のある競技では、いつも最高のプレーを披露できるわけではない。鹿島には、そうしたゲームでも何とか勝利の道を探ろうという強さ、したたかさがあるのだ。
■守備を土台に勝機見逃さぬ勝負強さ
今季のJリーグで、鹿島は年間通算勝ち点が59で止まり、74の浦和、72の川崎に遠く及ばない3位だった。それでも「一発勝負」のチャンピオンシップでは、相手の「勝って当然」という心理面の難しさを突いて勝ちきった。しっかりとした守備を土台に、勝機を見逃さない勝負強さが発揮された結果だった。
「Jリーグチャンピオン」になったことで出場権を得たクラブワールドカップの準々決勝と準決勝は、驚くほど似た試合だった。鹿島は前半相手に圧倒的に攻め込まれ、シュートを浴びまくった。前半だけのシュート数を見ると、マメロディ戦では0(鹿島)-11(相手)、ナシオナル戦では6-16。マメロディ戦の前半には鹿島は何もできず、ナシオナル戦では鹿島も時折鋭い攻撃を繰り出したものの、左サイドを相手MFベリオに何回も何回も突破され、そのたびに決定的なピンチとなった。
マメロディ戦の前半は0-0。ナシオナル戦では、FIFAの公式大会では初めて採用された「ビデオ副審(VAR)」のおかげでPKを得てFW土居聖真が決め、1-0で折り返した。
そして後半、マメロディ戦では相手の疲れに乗じて攻勢に転じ、MF遠藤康とFW金崎夢生のゴールで2-0(シュート数も8-6と逆転)の勝利を収め、ナシオナル戦では守備を固めてカウンターを繰り出す(54分から交代出場した金崎が重要な役割を果たした)と、遠藤のヒールキックと交代出場したばかりのFW鈴木優麿のゴールで突き放して3-0の勝利を収めた。
共通するのは、圧倒的な劣勢に立たされても、すなわち自分たちが目指す攻撃ができない状況でも、鹿島の選手たちはまったく集中力を失わず、ともかく守備に集中して失点を抑えたことだ。そうした中で何らかの「兆し」を見つけると、そこに全精力を投入して勝機をつかんだのだ。
「私たちのチームでは、まずチームとしてしっかりとした守備の形をつくる。それはクラブとしてずっとやり続けてきたこと。そして試合中に選手がベンチを見て指示を仰ぐことなど決してない。選手が自分たちの判断でプレーをするので、どんなに攻め込まれても慌てずに対応できるのだと思う」
「勝負への執着心と、チームのために全員が役割を全うすることが、鹿島の伝統といえる」
南米チャンピオンのナシオナルを下した試合後の会見で、石井正忠監督はこんな話をした。
石井監督自身がそうした哲学を打ち立てたわけではない。選手としてジーコとともにピッチで戦い、Jリーグの最初のシーズンの第1ステージで優勝を決めた浦和戦の先制点を決めた石井監督は、その時代から四半世紀近くにわたって継続されてきた哲学を受け継ぎ、20代前半の若い選手たちも、そして今季他クラブから移籍してきたばかりのMF永木亮太のような「新来」の選手たちも、そうした哲学をまるでDNAのように自分のものとしている。そこに鹿島の「勝負強さ」の最大の理由がある。
■ひたすら「90分間で勝つこと」考える
鹿島に貫かれているのは徹底したリアリズムだ。「どんなサッカーを見せるか」は二の次。ボールを支配して気持ちよく攻めることなど、優先事項ではない。ひたすら「90分間で勝つこと」を考え、どんな痛みにも耐えてそこから逆算したプレーに集中する。だから「逆境=敗戦」ではなく、逆境の中でも勝利を、最終的な結果をもぎ取る力が生まれる。鹿島にとっても逆境は理想ではないが、それをまったく恐れないのが鹿島というクラブであり、チームなのだ。
マメロディもナシオナルも、日本のチームらしからぬ鹿島のそうしたリアリズムの餌食となった。どちらも素晴らしい攻撃力をもったチームで、その攻撃力を遺憾なく発揮した。だが派手に攻めているうちに鹿島のワナにはまった。
「私たちは過信に陥ってしまっていたのかもしれない」
南米のクラブとしてこの大会で初めて日本のクラブに敗れたナシオナルのレイナルド・ルエダ監督は、試合後そう語った。
30分までに決定的なチャンスを何度もつくり、バー直撃、鹿島DF昌子源(GK曽ケ端とともにこの試合のMVP=最優秀選手=といってよかった)がゴールライン上で奇跡的なクリアをするなど、決定的なチャンスが繰り返しあったことにより、選手たちの間に「いつでも点を取れる」という安易な気持ちが生まれてしまったのかもしれないというのだ。だが実はそうした相手の心に「スキ」をつくることこそ、鹿島アントラーズというチームの「伝統技」なのだ。
チームづくり、サッカーの方向性にはいろいろなアプローチがあり、どれが正解というものなどない。だが鹿島というチームの「尋常でない勝負強さ」の正体を理解することは、どんな哲学のサッカーを構築するためにも必要なことのように思えてならないのだ。