体操・内村航平に聞く 「だから、僕はプロになる」
体操男子の内村航平(27)にとって、2016年は長いキャリアの中でも忘れられない年になった。8月のリオデジャネイロ五輪で念願の団体と個人総合の2冠達成、12月からはプロ選手として次の挑戦に踏み出した。決断に至った理由やリオの記憶、ここから先の競技人生について語った。
■体操のプロの姿、自分で見つけ示す
――11月で5年半在籍したコナミスポーツクラブを退社した。いつから考えていたのか。
「結構、前から。最初はロンドン五輪で金メダルを取った後。すごく注目も高まっていたし、今が一番のタイミングじゃないかと思った。でも、そのときはプロになるといっても、何から手をつけていいのか、何もわからなかった。でも、その後も世界選手権で金メダルを取り続けて、昨年のグラスゴー世界選手権でついに団体でも金を取れて、もうやるしかないでしょというところまで気持ちが盛り上がった。今年1月くらいから少しずつ動いてきて、プロがある他の業界の人に手伝ってもらった(サッカー日本代表の岡崎慎司、長友佑都らが所属するマネジメント会社と契約を結ぶ)」
――体操はテニスやゴルフと違って、試合で賞金を稼いだり、出場料をもらえたりするわけではない。
「確かに体操は(肉体的負担も大きく)たくさん試合もできないし、試合で稼げるスポーツではない。まだ誰もやったことがないことをするので、答えもわからない。自分で見つけていって、これが体操のプロの姿ですよというのを示せればいいと思っている」
――プロになって具体的に何をやりたいのか。
「体操をより多くの人に知ってもらいたい、子どもたちに普及させたいという思いをずっと持ってきた。まだ漠然としているけれど、体操教室とか演技会(エキシビション)とかを通じて、子供たちに面白さを伝えていきたいと思っている。別に大きくなって体操以外の競技を選んでくれてもいい。体操はあらゆるスポーツの基礎。体操と水泳を幼年期に経験している子と、そうでない子では、他の競技に進んだ後も運動能力に差が出ると聞いたことがある。どんな形であれ、体操が世の中に貢献していることになる」
「現役はあと4年と決めている。でも、東京五輪で引退したとして、その先の人生の方が長い。これまでずっと体操をやってきて、選手を辞めた後に何をしたいのか、自分でもまだ見えていない。でも、辞めてから考え始めても遅いと思う。だから、4年間でプロとして活動の幅を広げながら、どういう道に進みたいのか見つけたいという気持ちもあった」
――仲間や信頼できるコーチ、スタッフに囲まれながら競技をしてきた。そうした環境が一変する。
「そこは本当に悩んだ。競技力を維持してこそのプロだと思っている。でも、結局そんな甘いことを言っていたら何も変えられないだろうと。僕の中では、一人でやってこそプロであり、成功するか失敗するかわからないことを成功させるのがプロ」
■最後は自分の感覚を一番大事にする
――12月から東京・西が丘の味の素ナショナルトレーニングセンターで独りで練習を始めた。コーチとの関係も、これまで全幅の信頼を置いてきた森泉貴博さんとの関係とは違ったものになりそうだ(高校時代に所属した朝日生命の後輩、佐藤寛朗氏にコーチを依頼)。
「ほぼマンツーマンになるが、今回のコーチは自分に教える人ではない。僕自身の考えで練習を進めながら客観的な意見を言ってもらう。最初は自分の感覚と食い違うところも出てくるだろうが、うまく擦り合わせていきたい。でも、最後は自分の感覚を一番大事にする」
――自信と不安、どちらが大きいか。
「まだ練習も始めたばかりだし、試合も出ていないから何とも言えない。でも自信はある。ここまでの(五輪と世界選手権の個人総合で勝ち続けた)8年間のキャリアは自分の中で絶対的な自信になっている。そこを信じてやるしかない。体操についてはかなりのものを勉強してこられたと思う。あとは年齢とどう向き合っていくか。練習のやり方も変わってくるし、そこは臨機応変というか柔軟に対応していきたいと思っている」
――リオ五輪を振り返ってほしい。いつも試合から帰ると、すぐ録画した映像を見るそうだが。
「今回もそうだった。8月20日に帰国して、記者会見などを終えて日付が変わる頃に自宅に戻ったが、そのままテレビの録画を朝方まで見続けた。もちろん、妻も娘たちも寝ていたので一人きりで。個人総合の決勝は、アナウンサーが最後の得点が出る前に『内村はよくやりましたね』なんて言っていて、もう敗北を覚悟したようだった(笑)。自分はほかの選手の点数を全く見ていなくて、自分の演技に集中していたので、こんなふうにハラハラさせていたんだなと新鮮だった」
――個人総合決勝のオレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)との一騎打ちは五輪史に残る名勝負になった。わずか0.099点差で「こんな試合は二度とできない」と語っていたが。
「ロンドン五輪後の4年間で一番苦しい試合だったし、一番力を出し切れた試合でもあった。すべてにおいて満足できたというか、体操ってここまで極限のところでやっていますよ、というのを伝えられたんじゃないか。それが金メダルよりも一番うれしかった」
――17年の世界選手権(モントリオール)は個人総合7連覇がかかる。リオ五輪で「オレグにはもう次やったら勝てない」と言っていたが。
■今後もオールラウンダーとして勝負
「実は、リオが終わった直後は来年は1年間、オールラウンダーとしては休養しようかと考えた。でも月日がたつにつれ、ここまで6種目できてこそ体操と言ってきて、急にスペシャリストに転じるのは自分自身が許さないだろうなと気が変わった。ちゃんと一本筋の通った演技を6種目でつくって、オールラウンダーとして勝負していく。結果として代表選考会で負けるのなら、そのときはスペシャリストで生きる道を探ればいい」
――連覇はどこかで止まると思っている?
「そりゃ、止まりますよ。あの吉田沙保里さんでも負けたんだから。でも、負けることは怖くない。リオの個人総合決勝は負けたと思ったし、この演技で負けるならしょうがないという気持ちになれた自分自身も確認できた。そういうふうに割り切れたことで、連覇が続こうが途切れようが、僕は自分の演技を追求していけばいいんだといま思うことができる。今後は、勝ち負けよりも演技の内容とか質にこだわっていきたい。結果的にそういう考えの方が、勝ちにも近くなると思う」
――東京五輪までの4年間、どんな体操界になっていてほしいか。
「まだ男子と女子で種目の数や種類が違うことを知らない人も結構いる。『平均台はやるんですか』なんて聞かれたりするくらいだから。いまだに採点が10点満点だと思っている人も少なくないように感じるし、難しい技をやる人がすごい、くらいしか認知されていないんじゃないだろうか」
「プロになることで体操の露出を増やして、少しでも体操を知ってもらいたい。とても難しいけれど、日本伝統の美しい体操ってどういうことなのか、といったことをわかりやすく伝えたい。東京五輪までの4年間で注目されるし、本番で結果を残せばもっと体操もメジャーになれる。僕はそこまで頑張る。その先は(白井)健三たちに託します」
(聞き手は山口大介)