クラブ情報発信 チャレンジの連続だから面白い
SVホルン マーケティング担当フィリップ・フェッファー
SVホルンでは同僚の市塚裕大さんらとマーケティングやPRの仕事に従事しています。フェイスブックやツイッターなどのソーシャルネットワーク(SNS)を通じてクラブの情報を外部に発信、プレゼンテーションしていくのがメーンの仕事です。地域でのイベントを計画して実行したり、地元スポンサーとの契約交渉に携わったりすることもあります。小さなクラブだけに互いに助け合えることがあれば、どんどんサポートに入りますから、仕事の中身は多岐にわたります。
■ビジネスの側からサッカーに関わる夢
出身地はザンクト・ペルテンというホルンからクルマで1時間ほどの場所です。サッカーマニアなら2013~14年シーズンに、エアステリーガ(2部)所属ながら国内カップ戦で準優勝し、翌年の欧州サッカー連盟(UEFA)欧州リーグに出場資格を得たSKNザンクト・ペルテンのホームタウンとしてご存じかもしれませんね。
ここで私はサッカー少年として育ちました。子供の頃の夢はプロのサッカー選手になることでした。しかし、13歳のときに膝に大けがを負い、プロを目指す子供なら通うべきクラブチームのアカデミーに入ることを断念せざるを得なくなりました。16歳のときに再び膝を痛めてからはプレーヤーではなく、ビジネスの側からサッカーに関わることが私の夢になりました。
チロルの大学でスポーツカルチャーを修めたのもサッカー業界で働くという明確な目標があったからです。基本的な経済の勉強、スポーツクラブのマネジメントについて学んだ後、LASKリンツという2部のクラブでインターンとして働き始めました。そこでいろんな人と知り合う中で、ホンダエスティーロがホルンの経営権を取得するという話を聞きました。
耳にしたときは大きなチャンスだと思いました。当時のSVホルンはオーストリアの3部リーグにいました。3部リーグはもちろん、LASKのいる2部リーグでもビジネス的にそれほど激しい動きがあるわけではありません。そこに現役の日本代表選手がオーナーとしてやってきて、3部からブンデスリーガ(1部)昇格、さらにはチャンピオンズリーグに出られるようなクラブに変えていくというのですから、これまでにない、すごく野心的で新しい試みだと感じました。現地でも瞬く間に大きな話題になりました。それでツテをたどって神田康範・最高経営責任者(CEO)の面接を受け、幸いにも気に入ってもらえ、一緒に働けるようになりました。
■めったに経験できないことばかり
LASKリンツではインターンでしたから、SVホルンで正式採用の身になれたことは、すごくうれしかったです。オーストリアでも趣味と実益を兼ねたようなスポーツビジネスは若者の間で非常に人気がある職種なのですが、働きたい人は大勢いるけれど、働き口は非常に少ない業界でもあります。その難関をくぐり抜けられた自分は幸運でした。
SVホルンで働いて1年半になりますが、毎日充実の日々を送っています。めったに経験できないことを毎日味わえている感じがします。
大学時代にアジアの学生と交流はありましたが、日本人と本格的に一緒に働くのは初めての経験でした。私くらいの年代には漫画やアニメを通じて、やたらと日本に詳しい若者もいますが、私はそういういわゆる「オタク」ではありません。日本人とか日本文化についてのイメージといえば「休みもせずによく働く、勤勉な人たち」という一般的なものしかありませんでした。
実際に一緒に仕事をすると、確かに、本当によく働く人たちだと思います。でも、摩擦とか抵抗のようなものは何も感じません。毎日がすごく楽しくてスムーズに働けています。
そのように感じるのは、自分には比較できる対象が少ないことも理由の一つかもしれません。私が昔からホルンにいて、新しいオーナーの出現によってそれまでの商慣行やクラブ内のルールなどが大きく変わったら「なぜ?」「どうして?」「昔の方がよかった」と不満を覚えたのかもしれません。でも、私はオーナーが変わる前のホルンを知らないので今のやり方をそのまま受け入れるだけで済みました。
それに一般論としても、組織のトップが変われば、いろいろなものが代わるのは当たり前だと思います。それは日本人だろうがオーストリア人だろうがドイツ人だろうが、同じではないですか? 何も変わらないのであれば、変えた意味もないでしょう。
■自分もプロジェクトの一部と実感
インターンとして働いていたLASKリンツとの比較も難しいです。リンツはオーバーエスターライヒ州の州都で人口は19万人。ホルンとは比べものにならないほどの都会です。LASKも人気、ファンの数ともホルンよりはるかに多い、由緒正しい、歴史もあるクラブ。ところが、そんなLASKが経営に問題ありとして11~12年シーズンに1部から3部に強制降格させられました。1人の会長が独裁的にクラブを牛耳るやり方に、ファンの怒りは大きく広がって大変な騒ぎになったものです。
そういうクラブからやってきた私にすれば、ホルンはすごく居心地がいいクラブです。次に何をすればいいのかというディスカッションが常に活発に行われ、自分もプロジェクトの一部だという実感があります。伝統あるクラブに比べたら、ファンからのそれほど厳しい批判もない。本田オーナーは新しいプロジェクトを始めるのに本当にいいクラブを選んだ気がします。
ホルンに対して冷ややかな視線を送る人もいます。でも、それはホルンのせいというより、あまりよくない前例のせいだと思います。オーストリアのクラブに投資家がやってきて、短期的に資金を投じてはみたものの、もうけが出ないと判断すると、さっさと手を引いた過去の事例があるのです。ホルンでも同じことが起こるのではないかと、じっと警戒しながら様子をうかがっている人たちがいるわけです。
でも、多くの人、特にサッカーをずっと追いかけている人、サッカー好きな人はホルンの計画をポジティブに受け止めていると思います。投資が行われるのは興味を持たれたからで、それはプラスしかもたらさないと思ってくれているのではないでしょうか。
■ブンデスリーガ昇格の目標を何としても
そんなポジティブな期待にプラスで応えたいですし、私自身もこのプロジェクトの一部として1日でも長く過ごしたいと思っています。仕事は多く、新しいチャレンジばかりですが、だからこそ面白いと思っています。クラブが掲げたブンデスリーガ昇格の目標を何としても達成したい。
正直、その先のことはあまり考えていません。10年後、20年後となれば、パートナーもできているでしょうし、そのときはパートナーのいわれるがままに進んでいく人生になっているかもしれませんしね。
本田オ―ナーとは3、4回会ったことがあります。会うたびに話す機会をつくってくれます。すごく優しくてオープンで、プロジェクトの話になると熱がすごいし、先を見据えて運営していることが伝わってきます。仕事柄、多くのプロ選手を見てきましたが、比べものにならないくらい地に足が着いている感じがします。
そんなオーナーのおかげでメディアの関心は高く、ドイツからも定期的に雑誌の取材のオファーが来ます。SNSの反応もホルンや日本だけでなく、ドイツ、スイスなどのドイツ語圏に広がっています。2部でこれですからブンデスリーガに昇格すると関心はさらに高まると思っています。