木村、支えられ泳ぎ抜いた 銀2・銅2
コーチの研究糧に大きく強く
競泳の木村敬一(東京ガス)は16日、男子200メートル個人メドレー(視覚障害SM11)で4位となり、リオデジャネイロ・パラリンピックでの戦いを終えた。金メダルには届かなかったが、5種目で銀2銅2の4つのメダル。誇れる成果の陰には木村と、指導する日大文理学部教授の野口智博コーチが目の見えないスイマー特有の課題を一つ一つつぶしていった二人三脚の道のりがある。
野口コーチが木村を教え始めたのはロンドン・パラリンピックの後。銀1銅1に終わり、木村が「金メダルをとるため」に、母校の水泳部コーチだった野口に依頼した。
野口コーチは「物体が水面移動するのに障害のあるなしは関係ない。理想的な動きをつくればいい」と引き受けたが、実際に指導すると「90%は思った通りにいかなかった」。まっすぐ進めなかったり、ペース配分ができなかったり。
いろいろ試してわかったのは、健常者も水底のラインを見なければまっすぐ泳げないということ。全盲の木村の泳ぎがよれてコースロープにぶつかるのは当然。ぶつかって減速してから再加速するには大量のエネルギーが必要で、それをためる「筋肉を増やすのがタイムを上げる早道」。技術よりも肉体改造だ。
1日5食と厳しいウエートトレーニングを課した。ロンドン大会時63キロだった体重は、リオ入り時点で70キロ。上半身は見違えるほどたくましくなった。本当は71キロまで上げたかったが、木村の食が細く、栄養ゼリーやスポーツドリンクで補って「いい感じになった」。
試合会場が、周辺に幕を張っただけの実質屋外プールだったことに気を使った。健常者は子どものころから屋外プールの試合に慣れているが、視覚障害者はその機会が少ない。木村も2年前に米国の屋外プールの大会で苦労した。
音の反響などで周りの状況を推察するので、屋内と屋外は天と地ほども違う。そこで野口コーチは今年5月と8月、奈良の屋外プールで合宿を敢行。「5月はへとへとでタイムが出なかったが、8月は平泳ぎでベストが出た」と屋外慣れの効果が表れた。
東京と12時間違う時差調整も問題だった。健常者は太陽の光を浴びて体内時計を調整していくが、目が見えないので、それが難しい。そこで耳の中に光をあてるイヤホン状の機器を購入し、カナダでの事前合宿から昼間はこの機器をつけて眠気を抑制し、時差をリオに合わせていった。
こうした万全の準備で臨んだが、最初の種目の50メートル自由形の前日から2日間、木村が不眠に陥ってコンディションを崩す。「暗闇の中を突き進むのはものすごい恐怖で、相当気合が入らないとできない。それで交感神経の活性の水準が僕らとは比べものにならないくらい高くなって、眠れなくなったのではないか」と野口コーチは推察する。
それが木村特有のものか、視覚障害者全般のものかはわからない。でも「今までわからなかった闇が出てきて、もっと勉強しないといけない」。新たな研究意欲をかきたてられた。
コンディションを崩しながらも結果を残したまな弟子を野口コーチは「4年間で練習を休みたいといったのは3、4回しかない。いろんなことを乗り越えてきたので、本当によくやったの一言です」とねぎらった。
単にパラリンピックに出たいでもなく、メダルが取りたいでもなく、メダルの色にこだわりたいというパラアスリートの指導の軌跡。4つのメダルとともに、日本のパラスポーツの大きな財産になる戦いだった。
(摂待卓)