常識は壊せばいい 車いすバスケ男子代表
戦略コーチ・東野智弥
「助けてくれるか?」
「絶対助けるよ」
3年前、車いすバスケットボール男子日本代表のヘッドコーチに及川晋平がコーチから昇格した時、二つ返事で手を差し伸べたのが、当時bjリーグ浜松・東三河フェニックスのヘッドコーチだった東野智弥(現日本バスケットボール協会技術委員長)だ。以来、「戦略コーチ」として、日本代表に豊富な知識を惜しみなく授けている。
車いすバスケとの縁は20年近くになる。福井・北陸高で全国大会優勝、早大、実業団を経て1996年、25歳で米国へ指導法を学びに留学した。「日本のコーチの上から目線が嫌だった。これでは子どもはやる気がおきない」
米国で面白おかしく子どもたちをのせてバスケが好きになるやり方に刺激を受け、国内で小中高生を対象にした「クラッシャー・バスケットボール・キャンプ」をスタートさせた。「クラッシャー(壊し屋)」はプレースタイルから米国でついたあだ名だ。
キャンプに車いすバスケ日本代表の関係者が訪ねてきたのをきっかけに興味を持つ。だが合宿に行ってみるとシュートは決められない、パスもへたくそ。「同じボールを使ってゴールに入れるのは健常者も障害者も同じ」と、助力を申し出た。
そこからだ、車いすバスケの魅力にとりつかれたのは。「選手は生と死の境目にいた人ばかりで、その状態から救ってくれたバスケが大好き。それこそ、僕が求めていた人たちだった」。99年にアドバイザリーコーチとなり、合宿やパラリンピックに行った。その後いったんは離れたが、選手時代から気心知れる1歳年下の及川のヘッド就任とともに再びコーチになった。
月1回、及川が4時間近く車を運転して愛知県内の東野のオフィスを訪れ、戦略を練った。健常者バスケの映像も見ながら、車いすの戦術に取り入れられそうなものを徹底的に話し合う。今回の日本代表の「ユニット制」も、この会合から導き出された。
報酬はもらっていない。「彼らからもらう、僕のプラスの方が大きいから」。代表を招き、フェニックスの若い選手たちに練習を見せ、こう語りかけた。「彼らを見てみろ、明日死ぬかもしれないって必死にやっている。君たちのそんな練習では、悔いが残らないか」
8月下旬、千葉での車いすバスケ代表の最終合宿。リオ五輪での女子バスケ代表の戦いぶりが、今回の車いすバスケ代表と似ているとして「勝利やメダルではなく、今すべきことに集中すること」を選手に求めた。「必ずチャンスは来る」とも。
「クラッシャー」には「固定概念を壊す」との意味も込める。日本代表は2連敗スタートとなったが、本当の戦いはこれから。強くなった日本の姿を見せて、強豪国有利の固定概念をパラリンピックの大舞台でクラッシュしたい。=敬称略
(摂待卓)