野球解説のウソ・ホント ソフトバンク和田、目指せ「日本のトミー・ジョン」
ノンフィクション作家 小野俊哉
松坂大輔、ダルビッシュ有、藤川球児、和田毅、館山昌平、吉見一起……。近年の球界を代表する好投手たちの共通点をご存じだろうか。「トミー・ジョン手術」と呼ばれる肘の靱帯再建手術を受けていることだ。かつては投手生命を懸けた一大決心だったが、最近はハードルが下がり、復活する選手も増えた。「手術を受けると球が速くなる」との説さえ飛び交うほどだ。
今年、メジャーから古巣のソフトバンクに復帰した和田は素晴らしい復活を遂げている。7月15日のオールスター第1戦で全パの先発を務めた和田は2イニングを無安打に封じる完全なピッチングを披露した。前半戦では2桁三振を3度記録し、リーグトップタイの9勝を挙げた。
和田は2012年に海を渡った。ところが最初の春季キャンプで肘を痛めてしまい、断裂した腱(けん)を再建するトミー・ジョン手術を受けた。マイナーリーグでの登板を続けながらリハビリに時間を費やし、米国4年間の成績はカブスにおける21試合で5勝5敗、防御率3.36という不本意なものだった。
ところが日本に戻って来てからは以前に勝るとも劣らない投球を披露している。短いイニングではあったが、オールスターではほとんどのストレートが140キロを超え、最速は広島・新井貴浩に投じた144キロ。渡米前は140キロをたまに超える程度だったと記憶しているので、35歳にしてますますスピードアップしたような印象さえ受けた。
■「手術すれば球が速くなる」という説
「トミー・ジョン手術をすれば球が速くなる」という説を聞いたことがある読者もいるだろう。手術と球速の関連性が注目されるようになったキッカケは、ナショナルズのスティーブン・ストラスバーグだ。ストラスバーグはナショナルズに全米1位でドラフト指名され、10年6月にデビューした。しかし8月に肘の腱を断裂し、トミー・ジョン手術を受けた。翌年の復帰トレーニング中に160キロ以上を投げ「手術前より速くなった」と話題になったのだ。
しかし、これは話が独り歩きした感がある。実際の復帰登板以降は、デビュー当時の最速165キロを上回ったこともないし、ストレートの平均球速は年々落ちている。スピードを追うよりも、先発ローテーションを守ることを本人が重視していることもあるのかもしれない。いずれにしても復帰後に球速が増した事実はない。
和田に話を戻すと、本人は手術後に取り組んだ筋力トレーニングの効果を強調していた。リハビリ期間中に走るトレーニングを毎日組み込むなど下半身の強化を欠かさなかったのも大きいだろう。今の和田のスピードは手術そのものの恩恵ではなく、その後のトレーニングの成果と考えたほうがいい。
肘を含めた関節への負担を軽くするため、投球フォームを微調整した可能性もある。渡米前は前足を踏み出すと腰を低く落とし、かついで投げるようなフォームだったが、今季は腰を落とすことよりも軸足の蹴りと体重移動を意識し、下半身が生むエネルギーを効率よくボールに伝えているようにみえる。トップでの左腕の位置は相変わらず低い。一般論だと低いトップは肩や肘を故障しやすくなるが、打者から腕の出どころが見えにくくなる利点もある。和田の140キロ前後に打者が振り遅れるのもトップの低さが一因だ。
ここでトミー・ジョン手術という名前のもとになったトミー・ジョンという投手について触れたい。最近は手術名の方が有名になってしまったが、実は大リーグ史上屈指の左腕だった。1963年のデビュー。ヤンキースでも活躍し46歳まで現役を続けた。通算288勝は左腕として史上7位という大投手だ。
ジョンはドジャース時代の74年7月、勝利数、防御率ともにナ・リーグトップを走っていた絶頂期に肘の故障に見舞われた。17日のエクスポズ戦に先発。三回、阪神でも活躍したハル・ブリーデンを打席に迎えたとき、「得意のシンカーを投じると、左肘のあたりで何かが衝突するような違和感を覚えた」。痛みはなかったが、投げてもスローボールになってしまい降板。9月、チームドクターだったフランク・ジョーブ博士が考案した靱帯再建手術に踏み切った。
■リハビリ中に負担少ない投球方法学ぶ
手術から2年目の76年に復帰すると31試合に先発し10勝10敗。207イニングを投げ、カムバック賞を受賞した。そこから引退までの期間、手術前の124勝を上回る164勝を挙げている。カーブ、シンカーを武器に打たせて取るというジョンの投球スタイルは手術の前も後も変わらなかった。だが、リハビリ期間中に同僚のリリーフエース、マイク・マーシャルから肘や膝に負担の少ない投球方法を教えてもらったのが、その後の長い選手寿命につながったようだ。
ジョーブ博士は故障の再発防止のために、焦らずに3年をかけて完全復活をめざすことを勧めている。手術から1年後に実戦で投げてもいいが、1回の登板は2イニングまで。登板間隔を十分に空け、2年目までは全力で投げることも避けるようにとの指針を示していた。
ナショナルズのストラスバーグは術後2年目の12年、年間160回までしか投げさせないという球団の方針に従い、9月7日の登板を最後にシーズン終了。プレーオフでは投げなかった。手術から6年目の今年、ここまで13勝1敗という好成績は慎重な復帰プログラムを守ったたまものと考えていいだろう。
12年5月に手術を受けた和田は今年が5年目。腱も体になじみ、まさに完全復活を目指すタイミングだった。1週間に1回という日本のローテーションも理想的だ。トミー・ジョンの手術後の直球は和田と同じ140キロ前後だった。左腕というのも共通している。和田も「日本のトミー・ジョン」として末永くプレーし、同じ境遇から復活を目指す選手の手本となってほしい。