欧州でサッカークラブ経営、夢追い衝突の連続
SVホルン CEO神田康範
SVホルンの本拠地であるホルン市の人口は6500人ほど。北に行けばチェコの国境にぶつかる、決して大きいとはいえない町に、CEOである私を含めて十数人の日本人が突然やってきて暮らし始めたのだから目立つといえば目立ちます。私の場合、地元の新聞に写真付きで載せられることも度々です。
ホルンは監督も日本人です。濱吉正則監督は欧州でコーチライセンスを取得、Jリーグの名古屋や徳島、北九州などでコーチを務め、昨季途中からホルンの指揮を執ると見事な手綱さばきで2部昇格に導いてくれました。
スロベニアからペコビッチGKコーチを招いたくらいで、今季も濱吉監督のもと、スタッフは大きく代えずに戦います。選手はそういうわけにはいきません。3部と2部では試合のレベルが変わります。それに応じて選手を現時点で8人ほど入れ替えました。昨季のチーム得点王ブヤノビッチは退団しましたが、それに代わる新しいFWを1部リーグから完全移籍で連れてきました。CBも補強し、十分に2部で戦える戦力になったと思っています。
私がクラブ経営に関わるのはホルンが初めてです。大学を卒業してからブリヂストンスポーツに入社。選手を使ったマーケティングに携わり、米国に4年ほど赴任しました。帰国後、選手のマネジメント業務がしたくなり、中田英寿さんのマネジメントで知られるサニーサイドアップ社に転職しました。そこから縁あって4年前に本田選手の事務所に移ったことが現在の仕事につながりました。
■地域住民に愛された町のシンボル
欧州におけるサッカークラブは規模の大小に関係なく地域住民に愛された、町のシンボルといえる存在です。そこに日本人の私が経営権を取得した組織の代表として現れたわけですから、当初はいろいろな摩擦が起きました。「日本流のやり方をうまく融合させてやっていく」と言葉にするのは簡単ですが、1年目の昨季は、もともといた経営部隊や地域のボランティアのスタッフとぶつかることが多かった。
衝突した理由は簡単です。クラブの創設が1922年という伝統あるクラブですから、いろいろな慣例や古いしがらみがたくさんありました。私たちが新しい提案をするとすぐに「ノー」という答えが返ってきます。「どうしてダメなんだ」と聞くと「そんなこと今までやったことがない」。これでは理由になりません。「これまでやってきたことを踏襲するだけなら私が今、ここにいる意味なんかない」「今までやってこなかったことにトライするために俺はここにいるんだ!」と何度怒ったかわかりません。
昨シーズンから始めた取り組みはいろいろあります。細かいことでいえば、スタジアムで日本の食文化を紹介しようと毎試合、日本人のフロント、スタッフの奥さんを総動員してカレーや焼きそばやパンをつくって販売しました。最初は100ユーロ(約1万1800円)くらいの売り上げしかありませんでしたが、今では売り上げが10倍くらいの人気商品になりました。
商習慣も変えました。我々が経営に参画するまで、クラブにはスポンサーから現金を集める習慣がありませんでした。例えば、クルマのディーラーに対しては、広告看板をスタジアムに1枚出す代わりにクルマをリースしてもらうという形を採っていました。
ホルンのホームスタジアムは命名権(ネーミングライツ)を買った地元の銀行の名前がついていますが、こちらも買ったといってもお金のやり取りはありません。その代わり、クラブが銀行からお金を借りるときの金利を優遇してもらう。こういうやり方は地元密着という点で良さはあるのかもしれませんが、"物々交換"が主なので、選手を獲得したいときなどでも手元に現金がないという不都合を感じました。
そこで私はディーラーに対しては「とにかくスポンサー料を現金でください。その代わり、クルマのリース代もしっかり払いますから」と言いました。スタジアムの広告看板スペースは全部埋まっていましたが、契約書を調べると、契約期間は全部、2年も3年も前に切れたものばかり。それでも「前年踏襲」で事を運べば何の問題もなかったわけです。
■スポンサーと一から契約結び直す
私はスタジアムの看板を全部はがし、料金体系をしっかり明示したセールスシートを作り直して、スポンサーと一から契約を結び直すようにしました。そうやってお金が目に見えて動く形にしました。
見直したものにシーズンチケットの価格もあります。ホームスタジアムの収容能力は4000人ほどですが、入場者の30~40%はシーズンチケット購入者です。我々の貴重なお得意様ですが、価格は1試合ごとに買った場合の3分の1くらいで買えてしまう。これはいくらなんでも安すぎるのではないか。せめて半額くらいですむようにしたい。2部昇格を機に「値上げしたい」と切り出すと、古くからの地元のスタッフは「誰も買わなくなる」と反対しました。これも押し切りました。今のところシーズンチケットの売れ行きは例年どおりなので安心しています。
ゴール裏の食事しながら試合を観戦できるVIPシートの価格は2倍にしました。その代わり、整理もしました。これまではVIPシートといっても有名無実で、みんながタダで入ってきて混雑していました。ベンチ外になった選手までタダ券をもらって入り、足を組んで見ていました。それも一般のスタンドで見るように改めさせました。
3部から2部に上がると経営は楽になるのか。初めての経験ですが、そんな甘い見通しは立てていません。収入に関しては大きなプラスにならないと思っています。地域ごとに分割されていた3部リーグと違い、2部は全国リーグです。移動のコストもばかになりません。選手の人件費も1部昇格を目指せば、コストをかけざるをえない。3部当時より、どう少なく見積もっても1.5倍に膨らむと思っています。
そんな支出増に対して収入はどうでしょうか。2部になると「Sky」で全国放送されるので放映権料が入ってきます。が、分配されるカネは最大で50万ユーロと決まっています。この50万ユーロは若い、地元の選手を使うと満額支給されるのですが、外国人選手や年を取った選手を使うと減額されます。「2部は育成のためのリーグ」という思想を強烈に反映させた仕組みになっているのです。そのため、ホルンのように日本人選手を多数抱えたクラブへの分配金は半分ほどに減額されそうです。
スポンサー集めにしても、知名度が徐々に上がってきたおかげで大きなスポンサーがつき始めていますが、ホルンの場合は日本の企業が多いので、3部から2部になったからといって大きく値上げができるわけではありません。
■1年で1部昇格、一発回答目指す
そういう条件を抱えながらも、CEOとして今季、1年での昇格という一発回答を目指しています。クラブの母体が本田の個人事務所だけに、何年もだらだらと数億円単位の資金を投下するわけにはいかないのです。
正直なところ、クラブ経営を黒字化するのは非常に難しい。身の丈にあった経営をすれば赤字は減らせるのでしょうが、ホルンは超スピード出世を目指していますから、コスト面で勝負に出るところは出なくてはならない。それだけに今後も行政の支援を受ける方法を模索したり、さらなる大口のスポンサーをつけたりする努力を怠るわけにはいきません。
スポンサー集めでいうと、オーストリアには面白いローカルルールがあります。ピッチ上の11人の選手の中で1人だけ、ユニホームの胸の広告スペースに味方の選手と違うものをつけることが許されるのです。1部リーグも同じです。一般的にはフィールドプレーヤーだとケガで長期離脱の可能性があるので、安定的に試合に出られるGKがその対象になりやすい。
ホルンもこの制度を利用してクライアントを募ったところ、ある日本の企業が権田修一選手をはじめとするGKの胸のスペースを買い取る大型契約に結びつきました。オーストリア2部リーグの開幕は22日。ホルンの試合が日本で流れる機会がそうあるとは思えませんが、もし、GKの胸の広告が、周りのフィールドプレーヤーのそれと違っても、決して見間違いではありません。
94年の歴史を持つクラブには、ほこりをかぶったような固定概念があり、それを1年で変えようとして、本当に頭の血管が切れそうになるくらいの衝突がクラブ内で多々ありました。一方でリーグ運営には日本にはない特別なルールが存在します。相手の立場やこれまでのやり方を尊重しつつ、こちらが通すべきだと思うことは通す。理想と現実の間で着実に結果を出していくのが私の役目だと思っています。
幸い、昨シーズンは3部から2部に1年で昇格できた。この経験はクラブにとって大きかったと思います。まだすべてがうまくいっている状況ではありませんが、ホルンというクラブに集った者たちは国籍や職種に関係なく、同じ「夢」を追っているのであり、一緒に夢を追っている限りは簡単に決別することはないと信じています。今シーズンも摩擦やぶつかることを恐れずに仕事をしていくつもりです。