朝倉氏、滅亡前の書状 近江の武士に出兵伝える
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は1日までに、織田信長に敵対した越前(福井県)の戦国武将、朝倉義景(1533~1573年)が、朝倉氏滅亡の約5カ月前に発した書状が見つかったと発表した。資料館は「弱腰とみられていた義景が出兵の機会を慎重にうかがっていたことが分かる貴重な資料だ」としている。
書状は1573年3月12日付で縦11センチ、横約37センチ。近江(滋賀県)の武士の朽木元綱に宛てて、信長との関係が悪化した室町幕府最後の将軍、足利義昭の求めに応じ、義景自身が敦賀に向けて出陣したことを伝えている。
元綱は、1570年の合戦で危機に陥った信長が退却するのを助けた「朽木越え」で知られる。
しかし資料館は、元綱は朝倉軍の道中の安全を約束し、朝倉側は近江経由で義昭の出兵要請に応じようとしていたと分析する。朝倉軍は結局、戦局の変化で越前に引き返し、信長の軍勢に攻められ滅亡した。
書いたのは「右筆」と呼ばれる秘書役とみられる。書状を確認した愛媛大の川岡勉教授(日本中世史)は「朝倉氏は焼き打ちで滅びており、文書が残っていること自体が珍しい」と話している。
書状は県外の夫婦が保存。昨年5月にコピーを資料館に持ち込み、本物と確認された。今月31日まで同館で実物を展示している。〔共同〕