夢見る65歳が率いる楽団
SmartTimes 久米繊維工業相談役 久米信行氏
自分が聴きたい理想の音楽を生み出したい。楽器とホールが一つになった「空間力」あふれる響きを録音したい。そんな夢を65歳で実現し、理想のオーケストラをつくり上げた人がいる。クラシック音楽の録音プロデューサーとして活躍してきた西脇義訓さんだ。
昨夏にラジオ番組で西脇さんのインタビューを聞き、デア・リング東京オーケストラの初コンサートに足を運んだ。その光景も、耳に届いた響きも、私の予想をまったく超えていた。
まずは楽団員の配置だ。普通ならバイオリンはバイオリン、チェロはチェロと楽器別に固まって演奏するが、各楽器が点在する。しかも曲目によって配置が変わり、最後は全員が立って演奏した。
自らタクトを振る西脇さんの指揮ぶりもおかしい。淡々として自分を消し、楽団員の好きにさせている。こんな不思議なオーケストラの配置や指揮ぶりは見たことがなかった。精妙な一体感のある響きも聴いたことがなかった。
休憩時間にも驚いた。前半の演奏が録音され、ホワイエに持ち込まれた最高級のオーディオで再生されたのだ。その響きにしびれて慌ててCDを買い、西脇さんのサインもいただいた。アンケートやSNSにも感動を書きつづった。
すると思いがけず、西脇さんから「会いたい」というメールが届いた。どうやら私のアンケートやSNSを読んでくれたらしい。お会いしてみると、西脇さんは永遠の少年であった。
オーケストラ名はワーグナーの名曲「ニーベルングの指輪」にちなんでいる。西脇さんは、学生時代に友人宅でショルティ指揮ウィーン・フィルの全曲録音レコードを聴いたときの衝撃が忘れられないという。
そして録音プロデューサーになり、ワーグナーの聖地バイロイトを訪ね、思い描いた以上の響きで深い感動に包まれた。特別なホールに頼らず理想の音を再現したい。そんな夢を追い続け、曲目ごとに独創的な配置で演奏されるオーケストラが創造されたのだ。
夢見る大人の求心力は大きく、楽団員が続々と集まる。当初は幼少期からのクラシックの常識に縛られ、慣れない配置に戸惑ったらしい。だが呪縛から解き放たれ、ホールに響く他の楽器の音色と一体化したとき空間力の歓喜に気づく。
西脇さんの夢は、この世界に類を見ない若きオーケストラを率いてワーグナーの聖地バイロイト音楽祭で演奏をすることだ。9月にはCD録音を兼ねた第2回の演奏会が開催される。オーケストラを応援すべくチケット、CD進呈、リハーサル・懇親会参加などの特典満載のクラウドファンディングも始まった。
世間は「老後資金2000万円問題」で騒がしいが、還暦を過ぎても夢を追い若者に勇気を与えて世界を目指す西脇流に、人生100年時代の答えがある。
[日経産業新聞2019年8月7日付]
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