中嶋常幸(20)AON
青木さん・ジャンボ 好敵手 総合力で勝負、3強時代築く
アマチュアでプロの試合に出始めた頃、私のおやじの口癖は「青木、尾崎に負けるな」だった。断トツの存在で、ゴルフ界は2人を中心に動いていた。青木さんは一回りも上だし、ジャンボとも7つ離れている。世代的には本当ならライバルにはなり得ない。同世代には天才肌の尾崎健夫選手、倉本昌弘選手がいたが、おやじから「そんなことで青木、尾崎に勝てるか」などといつも発破をかけられていたので、AOは特別な存在。ずいぶん影響も受けた。若いときの私は生意気だったし、先輩に臆するところもなく「青木さん、ジャンボに勝つ」と口にしていた。
2人に勝つためには何をやらなければいけないか。そればかりを考えていた。アプローチ、パットが天下一品の青木さんは「100ヤード以内は世界一」といわれていた。私が米ツアー参戦したときは、たびたび一緒に練習ラウンドするようになったが、バンカーショットはとりわけうまかった。バンカー練習をしていると「どうやって打つんだろう?」といった顔をして、米選手がこぞって見に来ていた。ランニングアプローチも得意で、天性の発想力があった。
ジャンボはもちろん飛距離だ。単にヘッドスピードが速くて遠くへ飛ばすのではなく、フェアウエーの一番いいポジションに、理想の球を打っていく能力が高かった。高い球、低い球と何でもござれ。「飛ばし屋」は他にもいたが、ドライバーショットの質がまるで違った。だからセカンドをチャンスにつけられる。限りなくストレートに近いフェードボールという最高の武器を手に入れ、飛距離と安全性を両立させた。一緒にプレーすると「どうだ、見たか」と言わんばかり。わざと「どこ行った?」と聞くものだから、私は自分のプレーに没頭し、あえて"無視"、何とかつけいる隙を見つけようとした。
たとえるなら、青木さんは日本刀のような「切れ味」。ジャンボはギリシャ人やローマ人が持つような剣。切るだけでなく、たたくことも刺すことも、何でもできる「力」を感じる。青木さんに負けないよう小技を磨こう、ジャンボの飛ばしに負けないよう、飛距離アップしようという気持ちは、自分のテーマとして常にあった。青木さんの100ヤード以内のショット、ジャンボのロングショットが100点だとすると、私はどっちも満点は取れない。ただゴルフは総合力。全てを80点以上に上げ、バランスがとれたオールラウンドプレーヤーになれば、十分勝つチャンスがあると考えていた。
日本オープンで2人と戦うときは、格別に面白かった。「俺はプロだ」と骨の髄まで感じてプレーできた。私は1985年(東名古屋CC)に青木さんを逆転して大会初制覇。よほど悔しかったのか。最後の握手もせずに帰った青木さんは、87年(有馬ロイヤルGC)に1打差で私の3連覇を阻むと、私に向かってガッツポーズした。再び3連覇のかかった92年(龍ケ崎CC)では、90年(小樽CC)に3連覇を止めたジャンボに、意趣返しされた。
「ジャンボ1強時代」に入る前、73年から86年までの14年間で「AON」以外で賞金王になったのは75年の村上隆さん、84年の前田新作さんの2人だけ。85年から92年の8年間で、日本オープンは全て「AON」が優勝している。
(プロゴルファー)
プロゴルファーの中嶋常幸さんはマスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの海外メジャー4大会全てでトップ10入りしています。厳しい父親の教育を交えながらゴルフ人生をたどります。