石原信雄(25)コメ市場開放
農水次官、国益計る大局観 大蔵省は「国民福祉税」勇み足
細川内閣が重い決断を強いられたのがコメの市場開放問題である。貿易自由化を話し合うガットのウルグアイ・ラウンドは1991年(平成3年)12月に「例外なき関税化」を打ち出し、日本は93年中にコメの関税化を受け入れるよう迫られていた。
背景にはカリフォルニア米を輸出したい米国の強い圧力があった。だが関税化は全面的な輸入自由化につながるとして農林族議員は「一粒たりとも輸入は認めない」と強硬に反対、農水省...
内閣官房副長官として昭和から平成にかけて7人の首相に仕えた石原信雄さん。竹下登内閣では消費税導入、昭和天皇の崩御と改元に立ち会いました。「私の履歴書」では、幼少期からの足跡をたどります。