アナログ撮影のひらめき
SmartTimes 久米繊維工業相談役 久米信行氏
スマートフォンは今や便利で高性能なデジカメだ。私の愛機は望遠と広角の光学レンズまで装備し、ピントと露出を瞬時に最適化する。人工知能(AI)も駆使し、現物以上に美しく撮影できる。
しかし便利な道具に頼って楽をすると、感性や知性が鈍ることもある。昔はできたこともできなくなる。かつて味わっていた緊張感や期待感まで失ってしまう。そんな大切な気づきが大型連休中にあった。使いきりカメラを片手に、墨田区を撮影して回ったのだ。
これは公益財団法人ギャラリーエークワッドが企画するユニークな展覧会の一環だ。100人の一般公募者と20人の招待作家が東京の人や建築、都市をレンズ付きフィルムで撮影し、写真展を開こうというのだ。写真家の石川直樹氏や小池百合子都知事らと並んで、私も招待作家に選ばれた。
しかし十数年ぶりにレンズ付きフィルムを手にして初めて気づいたが、この撮影会は手ごわい。フィルム1本だけで、しかも「ぶっつけ本番の一発撮り」で作品を仕上げなくてはならない。ただ穴が開いただけのファインダーは、見たまま撮れるデジカメやスマホの画面に慣れた私には、ブラックホールに見える。どの範囲まで撮れているか、どんな明るさで撮れているのか。どこにピントが合っているのか、まったくわからず不安でならない。
撮影して、その場ですぐに結果を確認できないのもつらい。現像するまでは何がどう写っているかもわからないのだ。しかも同じ構図は1枚しか撮れない。フィルム1本の連続写真でストーリーを作るからだ。絵になる人や動物を待ち構え、たった1回のシャッターチャンスをものにしなければならない。一枚一枚が緊張感あふれる一発勝負の連続なのである。
それに比べればスマホの撮影は気楽だ。角度や構図を変えて多くの写真を撮り、良いものだけ選べばいい。撮影後に色調補正などの加工をするのも簡単だ。そこそこの写真も、プロ並みの写真に仕上げられる。
私も、そんなスマホスタイルにすっかり慣れきっていた。この写真展は単発インスタ映え指向の「デジタル脳」にさらなる難題を突き付ける。27枚の写真の順列組み合わせで作者独自の東京物語を表現しなければならず、いわば「世界観」が問われることになる。考え抜いて、私は生まれ育った東京下町墨田区の路地裏を自転車で巡ることにした。
撮影後に現像した写真を見て驚いた。「一発撮り」で修正なしなのに、神社での結婚式や料亭の女将の祈る姿など、その日その時だけの偶然の一瞬ばかり撮れていたのだ。
おそらく120人の参加者もアナログ撮影で、いつもと違う心の働きを体感したはずだ。6月21日からの写真展で、そんな人間本来のひらめきに触れるのが今から楽しみである。
[日経産業新聞2019年6月7日付]
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