行動経済学と無料の威力
SmartTimes (加藤史子氏)
日に日に空気が冷たくなってきた。もうすぐ雪の季節。行動経済学でリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞に輝いたことは記憶に新しいが、行動経済学を日本の雪降る地域の活性化に応用しているプロジェクト「雪マジ!19」も7年目の冬を迎える。
日本中のスキー場の約半数にあたる190以上のスキー場が協力して行う市場の活性化策だ。19歳限定で何度でも対象スキー場のリフト券が無償提供される。日本全国に19歳世代は約120万人いるが、昨シーズンは17.8万人の若者が、このプロジェクトの利用者になった。日本中の19歳の6.5人に1人だ。
なぜ、19歳限定なのか。多くの人が、高校を卒業して初めて迎える冬には19歳になっている。スキーやスノーボードといったスポーツレジャーは若い時に始めないと一生、縁がなくなってしまうという調査結果がある。このため無料化によって話題性ときっかけを作り、生涯の趣味にしてもらおうという仕掛けだ。
この取り組みは行動経済学でいう「無料」の威力を活用している。行動経済学は心理学の理論を応用し、人々の経済行動を解明しようとする経済学の一分野。セイラー教授の功績の代表例としてメンタルアカウンティング(心理勘定、心が行う会計処理)が紹介されることが多い。例えば、合理的に考えれば1万円の価値は同じなのに、苦労して入手した1万円は大切に使い、楽に手に入れた1万円はすぐに使ってしまう。
「無料」の有効性については、心理学と行動経済学の権威、ダン・アリエリーの著作「予想どおりに不合理」で興味深い実験が紹介されている。その実験では「高級チョコ」と「普通のチョコ」の二種類を販売し、「無料」の効果を試している。まず高級チョコを15セント、普通のチョコを14セントで販売したところ、高級チョコから売れていく。
両方のチョコの値段を1セントずつ下げていっても結果は変わらず高級チョコの方が売れる。しかし、最後に高級チョコが1セントになり、普通のチョコが無料になったとたん、無料のチョコが圧倒的に人気になる。どちらも等しく1セントずつ値段を下げたのだから、合理的に考えれば1セントの高級チョコのほうが人気にならなくてはならないはずだ。
このように「無料」の威力は強力だ。人間は本能的に、何かを失うことを恐れている。高い安いではなく1円でも失いたくないという心理がある。人間の心理が作用して、合理的には説明できない経済行動をとっているのだ。
スタートアップ企業の経営をすると、つくづく経済と人間心理は切り離せないと感じる。スタートアップこそ、まだ実態としては未成熟かつ成長途上にありながら、大手企業や投資家、そして社会の「期待」という心理を元に先行投資を受けている存在といえる。
[日経産業新聞2017年11月22日付]