春秋
俳優の勝新太郎は「俳優は先がわかってちゃいけない」と言った。昨年死去した中村勘三郎さんの父、17世勘三郎の「千里眼みたいな芝居をするな」といういましめも同じであろう。台本を読めばわが身の行く末が知れてしまう。実際にはそんな人間はいやしないのに。
▼知れぬ行く末を思って、人は希望と不安の間を行ったり来たりする。勉強でも、あるいは貯金やトレーニングでもいい。すべては未来から少しでも不安を消し去ろうとする営みなのかもしれない。それがあらぬ方へ向いたのだ。陸上短距離の歴史に名を刻む錚々(そうそう)たるスプリンターから相次いで禁止薬物の反応が出たという。
▼ドーピング疑惑の渦中にいる米国のゲイ、ジャマイカのパウエル両選手はどちらも超一流である。なのにさらに上に君臨するボルト選手(ジャマイカ)にはかなわない現実が希望を奪い、不正に向かわせたのだろうか。2人とも30歳。10秒足らずの間に爆発させねばならぬ肉体に迫る老いへの不安が頭をよぎったのだろうか。
▼台本がないからこそスポーツは人生と重なって見える。不安を消そうという営みは報われることも報われないこともある。手ごわい相手に勝つこと、弱い相手に負けることがある。でも、ドーピングの行く末だけははっきりしている。勝者の栄光とも敗者の絶望とも無縁の競技人生の破滅。千里眼でなくたってそれはわかる。