サッチャー改革が日本に問い直すもの
歴史を転換させた為政者が死去した。1979年から11年にわたり英国の首相を務めたマーガレット・サッチャー氏である。国の長期衰退に歯止めをかけ経済を復活させた元首相の足跡から、日本が学ぶものは今なお多い。
「瀕死(ひんし)の患者はピケ隊によって病院から追い払われ、社会に充満していたのは、口汚く人を罵る羨望と、いわれなき敵対心だった」
サッチャー氏は回顧録で78年暮れから79年初めの英国社会を、こう描いている。頻発するストライキが経済と人心を荒廃させた「不満の冬」と呼ばれた時期だ。
英国は18世紀の産業革命により「世界の工場」に上り詰めたが、20世紀に入ると米国やドイツの追い上げを受け、70年代は衰退の一途だった。その様子を世界は「英国病」と名づけた。
自国の復活を期してサッチャー氏がとった基本的な政治姿勢は、国の富を生むのは政府ではなく、企業や個人の自由な活動であるという考えを貫くことだった。
そうした哲学にもとづき、強すぎる労働組合の権利制限、減税、外資の導入、規制緩和などの具体策が矢継ぎ早に打ち出された。
そのなかで特にサッチャー氏が重視したのが、国営企業の株式を上場させ、多数の個人株主をつくる民営化だった。
英国が金融危機を経験し、市場主義の行きすぎや格差の広がりが批判される今も、サッチャー氏の始めた改革の意義は世界中が認めるところだ。
日本は87年のNTT上場をはじめとして、多くの公共サービスを民営化した。90年代の終わりには英国に範をとった金融改革(日本版ビッグバン)にも踏み切った。国営企業と金融業の改革は新興国にも広まっている。
批判や周囲との摩擦を覚悟で多くの経済改革を進めたサッチャー氏だが、究極の目的は「魂を変えること」と述べている。自立心あふれる企業と個人がまじめに経済活動をし、正当に報われる社会が理想の姿だった。
日本はバブル崩壊後の長期低迷から、まだ抜け出すことができない。経済再生に向けて、企業と個人は自立し、新興国の追い上げなどグローバルな競争と真正面から向き合う――。「鉄の女」と称されるほどの強い姿勢で英国を救ったサッチャー氏の生涯は、日本にそう問い直している。