この夏に読みたい10冊
1~7月書評閲覧ランキングから
人生あるべきはゼネラリストかエキスパートか。今年の夏はオリンピック観戦の合間にそんなことを考えてしまう。書籍の世界ではピアニストの脳を探り、犬の世界を分析し、伝説の八百長事件のナゾを解き明かす――それぞれこの著者にしか書けないというエキスパートによる本が相次いでいる。2012年1~7月に電子版に掲載した書評で閲覧数の多かった本から、お薦めの10冊を選んでみた。(1~7月の書評ランキングは最終ページに掲載しています)
日常からかけ離れた世界に浸る
書評がよく読まれるのは通常「厚い本」「高い本」「売れている本」の3つ。しかし今年は全く違った結果が出ている。日常からかけ離れたコアな世界に浸った分野に読者の関心が集まっている。
その代表がランキング第1位の「ピアニストの脳を科学する」(古屋晋一著、春秋社)。著者は独ハノーファー音楽演劇大学の医学研究所員だ。ピアニストは練習する手の運動だけで1年約490キロメートルを移動する一種のアスリートでもある。けんしょう炎を防ぐための脳の指令、速弾でミスを予知する仕組み、11歳まで練習すればするほど発達していく脳の白質体積の秘密――。それぞれのユニークな実験の結果を著者は紹介していく。もともとはピアノを演奏する人向けに書かれた本だが、スポーツ関係や音楽療法など医学分野に携わる人からも読まれているという。
芸術家の才能を左右するものは何か。例えば将棋ならば、郷田真隆棋王は「良い手は子供の頃からの手の感触が知っている」と幼時からの体験量であると説く。ピアニストの場合、それは「良い耳」と著者は推論する。音楽家は音の高さやリズムだけでなく、ざわざわした雑音の中でも話し声を聞き取る能力が高いことも実験で明らかになっている。
最強の柔道家の一生を追う
4位の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著、新潮社)はかつて最強の柔道家とされた木村の一生を追ったノンフィクション。著者は柔道部出身である自身の視点から描いた。1954年のプロレス勃興期における力道山との一戦は、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った「巌流島の戦い」とはやされた。「引き分け」という事前の八百長の約束を力道山が破り、不意を突かれた木村は惨敗。力道山は高度成長期を象徴するスターの一人になっていく。
力道山といってもかろうじてピンと来るのは40歳代以上だろう。それにしても強いレスラーだったんだなとつくづく思わせる。実力もさることながら精神面がケタ違いに強い。強敵相手の八百長破りは自分の強さを信じきっていなければ到底やれまい。
八百長自体についても、賭博絡みは論外にせよ「この相手なら負けてもいいや」と思う心情的な片八百長までなくすのは困難だろう。将棋のタイトルを数多く取ったある名棋士は昔、親しい先輩から負けてくれと頼まれた。即座に断ったものの、実際の対局では7時間の持ち時間をほとんど使い切って深夜未明まで勝敗不明の熱戦を繰り広げ、最後に当の相手にも居合わせたプロたちにも分からないように勝ちを譲ったという。そんなエピソードも残っている。
ただ子供の時から将来の第一人者、業界を背負って立つと認められた者はまた事情が違う。名人位15期の中原誠は約40年の現役生活で、負けてくれと頼んだことも頼まれたことも一度もないという。棋界が皆で八百長の世界に近づけさせないのだ。谷川浩司や羽生善治も事情は同じだろう。
本の中の事例はピアニストが日常の演奏から感覚的に知っていること。それを科学的に解き明かそうと試みて書いた本です。読者は音楽関係者しか想定していませんでしたが専門用語に偏らないよう分かりやすい記述は心がけました。高度な身体機能の一つとしてピアノに関する興味は多かれ少なかれ多くの人が抱いている。特にスポーツ好きな読者からの反応がありますね。ミスを予知できる感覚はサッカーや野球にもある。次の本もピアノ演奏に関する研究を。今年末から来年初めにでも出版したいですね。
非情な決断の裏にあったものとは
勝利に徹した生き方を示したのが森繁和・前中日ヘッドコーチの「参謀」(森繁和著、講談社、6位)。日本一を達成するため日本シリーズで完全試合を目前にした投手を交代させた張本人(?)でもある。非情な決断を支えていたのが我々でもやれそうな日ごろの地味で常識的な積み重ねだったことが分かる。ロンドン五輪で女子サッカーのなでしこチームは予選で余力を残し2位通過を狙った。もし全力で勝ちにいった結果、疲労からメダルを逃したとしたらワキが甘いと冷笑を浴びただろう。
勝ちまくっている圧倒的な勝者の人生にも必ず影がある。それがテニス選手アンドレ・アガシの自伝「OPEN」(ベースボール・マガジン社、8位)だ。父親から強制された練習、ハリウッドスターとの離婚、薬物など、第一人者の栄光と挫折が赤裸々に描かれている。
有利な持ち家購入方法を指南
2位に入った「マイホーム、買ったほうがトク!」(藤川太著、朝日新書)も単なる不動産購入のノウハウ本ではない仕上がりとなった。著者は家計の見直しが専門のファイナンシャルプランナー。自らも家を購入し顧客からも毎日のようにアドバイスを求められている身だ。そんな経験を最大限生かして長期的下落トレンドにある地価市場で有利な持ち家購入方法を何とか見いだしていく。「不動産業者にこんな客はイヤと思わせるツボを盛り込んだ」としている。マイホームで失敗する人たちには一つの共通項があるという。夢をみてしまうこと――。必要なのは粘りと値引きだ。
7位の「犬から見た世界」(アレクサンドラ・ホロウィッツ著、竹内和世訳、白揚社)の著者は犬の認知行動学の研究者。さらに人間やサイの認知研究へと対象を広げている。筆者は「犬のほうで人間を訓練するやり方を心得ている」と説く。そうした私たちに「飼うなら雑種を」と勧める。雑種犬が純血種の犬より劣っているとか信頼できないとかいう神話は完全に間違っているそうだ。
私の「家計の見直し相談センター」に来るお客さまの2人に1人がマイホーム購入の相談です。5年前は約8割が年金に関する相談でした。人口減少などから長期的には地価値上がりは望めない。しかし損しない方法はあるはずで実際に自分でも購入しています。現在の住宅に出会うまでに5年も物件を探しました。見て回るのは時間も手間もかかりますがその経験からいい物件に出会ったときは購入を即決することができました。感情でなく徹底したデータに基づいて選ぶことです。
本著のお薦めは独自に編み出した資産評価法。3章で詳しく紹介しています。次作は今秋に増税と社会保障に関する本を出します。北欧を回って効果的な家計の対応方法を考察してきました。
歴史小説は黄金期の入り口に
歴史が時代を映す鏡ならば、時代小説は時代の光を最も反射する鏡の一つだろう。直木賞候補作となった短編集「城を噛ませた男」(伊東潤著、光文社、3位)は小心、保身、気まぐれな主君に振り回されながらしぶとく生き残っていく戦国の男たちを描いた作品だ。古戦場や城跡を現地で丹念に調査し、幾種類もの史料を読み込んだ筆者の姿勢がリアリティーあふれる設定を生んでいる。今は歴史小説黄金期の入り口にあるのかもしれない。それほど毎年良質な作品が相次いでいる。著者も「ポスト司馬遼」候補の一人か。残念ながら龍馬のような未来志向の明るいキャラクターは出てこない。実力がありながら組織と時代の流行の中で翻弄される主人公を乾いた筆致で描く。それが東京・丸の内などオフィス街での売れ行きが際立つというこの著者の背景につながっている。
男性にこそ読んでほしい「働く女性」
9位の「働く女性 28歳からの仕事のルール」(田島弓子著、すばる舎)は3度の転職を果たした著者のキャリアが重みを持つ。ただ女性の部下を持った男性にこそ読んでほしい本でもある。日ごろはこちらを圧倒するほど優秀な彼女ら。しかし時々不思議な感覚に包まれているようにも感じる。そのナゾが一瞬だが分かったような気になった。10位、「会社員とは何者か?」(伊井直行著、講談社)は夏目漱石から現代まで「会社員小説」をキーワードにした文学評論だ。
最後にイチオシの1冊を。「明日もいっしょにおきようね」(絵・竹脇麻衣、文・穴澤賢、草思社、5位)は頼りにならない若い女性とあまりかわいくない猫との物語である。しかし理屈抜きで慰められる。ペットを飼っている人だけではない。日ごろ肉親の介護に心を砕いている皆さんにも一読をお薦めしたい大人の絵本だ。
小説の登場人物は無名ながら実在の人物。ただ一級史料にはほとんど活躍が記されていない。軍記ものに当たったり、実際の合戦場を見たりして実際にあり得たであろう可能性が高いストーリーに仕上げるようにしています。今の読者は要求レベルが高いですから。5作の短編を収録していますが文庫本にする時は第2章と4章の順番を変えようかなと。その方が読者にスーと読んでいってもらえるかなと考えています。
手に取ってくれる読者は多くは30歳、40歳以上のビジネスマン。自分は純粋な文学青年ではなく、外資系企業で営業をしていた経験があるからそうなるのかな。映画化原作の作品に他の場所では負けていてもオフィス街の書店では多く売れていることもあるようです(笑)。次回作はWeb版で北条早雲を。出版物では今川氏真らの短編集を出します。戦国時代の「負け組」は本当に負けていたのかを見直そうというものです。
(電子整理部 松本治人)